バヌーク族 †
書物
安価な羊皮紙に書かれた書物。
厳格なバヌーク族の狩人たちが描かれている。
バン・アーとバヌーク族について
旅多きアラム これを記す
太陽の光が金色に見える時代ではないか。
メリディアンの市内にいながらにして世界を丸ごと楽しめるとは。
城門が開かれ、世界がここに集まってきているからだ!
だが市場を歩いているとまたもや問いかけが聞こえてくる。
寡黙で禁欲的な北方の狩人、氷の民であるバヌーク族についてどう思うのか。
入念な調査をしようにも、困ったことに、バヌークの流れ者は滅多にメリディアンには長居しないようなのだ。
血が冷たいため、暑さに耐えかねてのことだと言われている。
確かめるには荷物と筆をもって彼らの故郷まで旅をせざるを得ないのだろう。
こうして私は凍てつくバン・アーでバヌークに囲まれてみじめな日々を過ごすことになったのだ。
バヌークは故郷についてはうやうやしく話すが、この世で最も過ごしにくい場所なのは明らかだ。それなりの美しさは確かにある。
宝石のごとき色合いの巨大な氷河、大地から噴き出す湯気、頭上に舞い踊るオーロラ。確かにあるのだが、目新しさはすぐに去り、骨まで凍りそうな寒さが残る。
あれは月の地と言える。
日中は太陽が灰色に覆われて針の目ほどになってしまい、夜は月が幅を四倍に広げてせり上がってくる。
土地も民も歓迎してくれることはない。
「ウェラック」と呼ばれる、いくつかの家族からなる、貴族の家から文明を除いたような集団に混じって暮らしたものの、一人一人が自力で生き延びる気概をもっていることを示さなければならないようだ。
彼らは常に刺激を求めており、それは機械との命のやりとりでも、日々の暮らしの中でも変わらぬようだ。
カージャであれば課題を見つけたら解決法を考え、課題を克服したら満足して暮らせるのだと、自分の感覚を説明してはみたが。
彼らはこの考え方に戦慄したようだった。
眠る時は自力でテントを立てられる穴を掘ること、食べるときは自力で食べられるものを狩ることを求められた。落胆を隠して彼らのやり方に同意した。
私だって若いころは腕試しのひとつやふたつ参加したことがあった。
三日目の朝にウサギを仕留めることができた。
南の平原にいるようウサギだが、柔らかく白い毛皮をもったウサギだ。
ウェラックに獲物を見せに行くと、一同にぽかんとした顔をされ、やがて誰かが毛皮を剥いで用意するようにと言ってくれた。詳細はここでは省くことにする。
あの一件で、トウモロコシのパンしか受け付けない体になりかけた。
血生臭い塊を食べ終わるやいなや、バヌークたちは皮膚そのものに機械の部品を縫い込んだシャーマン(これも良識の範囲内の刺激か)に率いられて機械狩りに繰り出した。
彼は機械の塊が近くにいるのを感じると言い張り、狩人たちと私は雪に残された足跡をたどり、なるほど、グレイザーの群れを見つけることができた。
バヌークらは槍で素早く獲物を屠り、身の証を立てたいとふと思い立った私は、倒れた機械から部品を回収する作業に身を投じた。…つもりだった。
意欲を買われるどころか、シャーマンの罵りと叫び声にさらされ、陰気な狩人一人により野営地に連れ戻されてしまった。
やがて彼女が話してくれたには、部品を収穫する前に機械の魂たちに礼を尽くさねばならないそうだ。
私はもはや、バヌークの文化の厄介な落とし穴に絶望し、太陽の導きの確かさを切望するに至っていた。
その晩は幸い、滞在の最後の夜となった。
同行していた連中と別のウェラックとが容赦ないほど腫れた空の下に集まり、歌を交わすことになった。それが彼らなりに歴史を記録する方法なのだ。
文字を読めるものの、使おうとしない者もいる。
「声なき歌など歌ではない」とのことだ(私もさすがに、反論しないだけの知恵はつけていた。)。
私の活躍は仲間たちの歌の丸々一節分に値していたようなのだが、聞き取れた範囲では、翻訳では伝えきれない言葉がだいぶあったようだ。
それでも笑いはだいぶ起きていたし、そこにいた者の多くが共に過ごした時を祝してバヌークの別れの証をくれると言ってきた。
そのウェラックには、ハイブルームからそう遠くない場所で別れを告げ、そこから夜明けの見張り塔に下り、太陽に祝福されし文明へ戻るに至った。
濡れて凍りついた持ち物を荷にまとめる際、別れの証は見当たらなかった。
これもバヌークの謎なのかもしれないが、正直なところ、あの部族の謎はそっとしておいてやったほうがいいように私には思えている。
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