空軍士官学校 †
- 場所は全体マップ右下辺りで、安息の大門の右下辺り。
岩場の上に物資の箱と一緒に置いてある。
母のゆりかご付近で発見
音声:
世界滅亡ダイアリー、2日目。親父がここで講演した。
戦争の歴史を振り返るコースで、人類の空軍史についてだった。
テキスト:
母さん、
親父が講演するのを聞きに俺を連れて来たことがあったよね。
当時はわからなかったけど、20世紀風の講義スタイルだった。
バーチャルではない講堂で部隊に立って、プラスチックの椅子に座った生身の候補生にマイクを使わずに大声で話してた。
45年か46年だったから、空軍はもう60~70%自動化されていたはずだけど、士官学校は伝統そのままって感じだった。
親父はあの講堂の古さに負けないような古いテーマで話してた。
「人類の空軍史、1909年~???」。
候補生たちはあの疑問符を見て、希望的観測か、頑固親父の無知だと思ったんじゃないかな。彼らにすれば人間のパイロットの時代はとっくに終わってた。
でも親父は違った。寝室の引き出しにしまってた勲章が懐かしい。
サンスクリット語で「栄光で空に触れよ」って買いてあった。前に教えてくれたね。
親父はインド空軍で准将になってからも飛び続けた。
コックピットに座って操縦桿を握り、トリガーに指をかけるということが何を意味するのかを、親父は知っていた。
知っていたから戦死した。2048年6月5日。
葬儀の時にメタラージック・インターナショナルの誰かが言ってた。
「自由市場を守って名誉の戦死を遂げられた」と。
当時の俺でもウソだってわかった。
実際はメタラージックによるタンタラム鉱山の採掘権を守って死んだんだ。
もっと言うなら、親父が死んだのは当時のメタラージックに予算が足りなくて航空隊を完全に自動化できなかったから。
軍から払い下げられたレイザーウィングに新しい電子戦装備を取りつけるのは費用対効果が低かったからだ。
人間の戦闘機パイロットが棺と同じくらい時代遅れかつ使い捨て前提だったから、親父は死んだんだ。
親父がジャングルに墜落した時、俺ら家族もみんなどこかへ堕ちちまったんだ。
母さんは何週間も寝床から起き上がれないまま入院して、俺は近所の人に預けられて…
退院した母さんにいくら温かい言葉をかけられて、大丈夫だと念を押されても、俺は信じなかった。
俺らの間で何かが壊れてしまったんだ。
孤児になったような気分で、すべてがどうでもよくなった。
それから7年間はずっとそんな調子で過ごした。そのせいで死にかけるまでは。
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